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ヘンリ・ライクロフトの私記

ヘンリ・ライクロフトの私記

 私はもう一度読みたいという本を本棚のどこかに置き忘れてしまったようであったため、探すのは面倒であるし、この際、新しく買ってもよいであろうと判断し買うことにした。
かつて読んでしまった本でももう一度読みたいなどと思う気持ちにさせてくれるということは自分では気づかなかったがよほど価値があるのではないかと思ったからである。
 
 表題の「ヘンリ・ライクロフトの私記」はその一冊である。ジョージ・ギッシングが書いたこの本は奇しくもこの本の作家が書いた世界文学書なった唯一のモノであろう。
 この本の存在は高校時代から知っていた。そのきっかけは私が大学受験の際に一人で勉強をしているのを見かねた母親が当時、東大の学生であった田谷さんという人の母親に相談したことに端を発したことで英語の家庭教師をお願いした際の英語の例文で出された文章であったことの作者名を通してで知ったのである。
 受験参考書の例文として英文学の中から取り上げるということは当然のことであったのだろう。私はその文章を他の参考書にも記載してあったことを知っており、その問題の解答を知っていたのでいわばズルしてそれを見て回答したので家庭教師は私の英語の実力はそこそこと判断したようであった。でも実際は違うのである。
 ただ、出来損ないの受験生が「ヘンリ・ライクロフトの私記」という書名を頭に刻んだことは希望の大学に入学するよりも価値があった気がしないではなかった。

 この本にはその後の人生でのいくつかの局面でもお世話になった気がしないではなかった。私が音大に入るためにフルートとピアノのレッスンに通っていた頃、どうにならないような焦燥を感じて初めて「ヘンリ・ライクロフトの私記」を近所の本屋で買って読んだのである。その中の一説にライクロフトがイタリアに行きたいが行けないので身辺にあるラテン語の書物を処分したという下りを読んだ時、私もイタリアに行きたかったが行けない状況と同じだと思いその節を読んで涙が出た思いがあるからであった。
 それから何度となくイタリアに行くことができたがそこに行くたびにヘンリ・ライクロフトという架空の人物の焦燥とあきらめに近い心情を思い出すのであった。イタリアに行けない理由は何のことはないお金がないからなのである。ヘンリ・ライクロフトは距離的にイタリアは日本にいる私より近いが経済的な事情が許さなかったのである。
 今なら新聞広告でイタリアの一週間の旅行でも30万円かそこらで行ける。ただ、現代のヘンリ・ライクロフトならそれも難しいかもしれない。現在の年金生活者でもつましく生活すればイタリアに行くことは無理ではなくなった気がしないではないが?
 私にとって「ヘンリ・ライクロフトの私記」は現在の生活でも最も身近に感じる座右の書であることは間違いない。
 今回、岩波文庫で買ったもう一冊の本はテオドール・シュトルムの「みずうみ」である。
これははじめ、タイトルの美しさで買った本であったがその期待を裏切らない本であった。
世界文学の一冊ではあるが平易な文章で書かれた美しい小説で私はその小説のあとで総天然色の夢を見たくらいの本であった。
 私はごく最近、この本の舞台になったと思われるフーズムになんで昔いかなかったのかを訝ったことがあるからで、あれだけヨーロッパに毎年行くことができた時代があったのにシュトルムのこの本の書かれた場所や、モデルとなったみずうみを確認することを忘れてしまったのであった。
 最近は行きそびれたところがひとつくらいあってもいいではないかと思うようになってきたがグーグルマップでフーズムに行くにはロンドンやパリとはやはり違う様で少々手こずるような気がしないではなかった。というのはフーズムはドイツ領になったりデンマーク領になったりしているし、そこで生まれたシュトルムはドイツ人であり彼の作品はドイツ文学に入るようであるからだ。
 いずれにしてもこの北ドイツであり、北欧のデンマーク領にもなったことがある灰色の空の町を尋ねるには少々年を取りすぎた気がしないではないが?
                            2026年3月16日T>I

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