ブランドワークス

Column

イーロン大学

 以前、とある名門大学のブランド戦略の仕事を3年間担当した。その大学に新しく着任した理事長のビジョン構築の一環として手伝うことになったのだ。ブランド戦略と言っても単なるイメージ戦略としてコミュニケーション上の提案するのではなく、その大学の社会における存在そのものをも考え、未来においてその大学の社会における立ち位置を決めるような仕事なのである。ブランドとはそのようなことがあって成り立つからである。
 最後に取り組んだ課題が創立200年次におけるビジョン構築であった。私はその際にアメリカの大学を調べるために12冊の書籍を購入して、アメリカの大学の知見を深めた。しかし、基本戦略を策定した段階でプロジェクトから離れなければならないことになり、何年かたってしまった。それでも、その12冊の本は何となく私のデスクの一番近くに並べられていた。
 そして、近々、その大学に行くことになった。新装オープンした図書館などを見学することになり、久しぶり当時お世話になった人たちとの旧友を温めることになったのだ。
そんなことで現在の大学事情等について知らないと話が進まないだろうと思い、当時の記憶等を思い出すために、また最近の学校事情などの予備知識や記憶の再確認をしていく必要性からデスクの近くに並べてある中から最後に読んでいた本を手に取った。

 私は12冊の本の中で面白いと思いながらそんなことから途中で読むのをやめた「無名大学を優良大学にする力:ある大学の変革物語」と言う本を迷わずに手にした。その本の著者はこの分野で最もアメリカで知られた研究家であるジョージ・ケラー氏の書いた本であり、ノースカロライナにあるイーロン大学を取り上げているのである。
私はかつて読んだ最後のページから読み始めた、読んで何日かしてなんとなく記憶が戻ってきたころ、ショックを覚えたのは次の言葉であった
「国を創るのはその国の高等教育だ!」
 私はこの仕事を通してアメリカの大学を研究したのであった。というのはアメリカの大学は基本的にどの大学もそのような考えがベースにあると思ったからであった。そして、有能な大学であればあるほどそのビジョンに対する独自なこだわりを持っていることを思い知らされた。

 私は大学教育を受けていないので大学がどのような仕組みで動いているのかわからない、漠然と知っていることと言えば縦方向に大学とは国立と公立と私立の大学があり、四年間で学士過程、その後二年間の修士課程、そして最後の博士課程の勉強をするところで、横方向に理系と文系、アート系(建築科、純粋芸術、デザイン科など)があり、それぞれの大学には偏差値があり、それがその大学の入学難易度を表している事くらいしか知らない。
社会に出た大学卒業者とそうでない私(デザイン専門学校で3年間の教育を受けた)は自分と他の学校卒業者との差を教えられたのは会社に入ってからであった。中卒者、高卒者、短大卒者、大卒者でまず初任給が違った。その差は年齢の差でもあったろう。中卒者は16歳で入社するが、大卒者はその後7年勉強するので23歳で入社する。その段階で年収はおのずと変わるし、その後、昇給のレベル違ってくるし、役職も異なるので手当がつく・・・・生涯収入でどのくらいの差がつくのだろうか?

 そんな程度の認識しか持てない自分が「国を創るのがその国の高等教育だ!」ということを知って、Oh!U・S・A」はさすがだな!と思った。日本の高等教育を考えると、どのくらい、高等教育に期待しているかわからない。
 それは国の成り立ちをだれもが知っているアメリカ人と神話として漠然と知っている日本人の差ではないかなと思った。
 私は大学プロジェクトの調査研究でハーバート大学の生い立ちが国の成り立ちをも示唆していたことに感銘を受けた。ハーバート大学とはイギリスから渡ってきた清教徒の村の村長の勉強のための学校がその始まりであった。と言うのはその村長の能力や意思決定の確かさがその村の発展と村人の幸せを左右するからであった。だから村では村の発展と村人の幸せのために最高の教育を受けさせたのであった。つまり、良い国を創るということは国を動かすリーダーに最高の教育を授けることであるのだ。

 日本は運がいいことに神が作ってくれた国であった。したがって、能吏が間違いなく神の国を運営すればよかったのだ。つまり、有能な能吏を創るのが日本の大学である。

 しかし、優秀な受験生が目指している大学はアメリカの受験生も日本の受験生も同じようである。アメリカの場合、優秀な学生は研究大学のトップ20校もしくはリベラルアーツカレッジの選り抜きの10校を目指し、そこに行けない学生は良い仕事を得るために大学に行くのだと言われているが内容はともあれ何となく構造的には日本と同じだと思った。
 イーロン大学は新しいタイプの大学である一般教育と専門教育を両立させたハイブリット大学を目指しているらしい。

 紙数の関係でこれ以上書くことはできないが先日、日本大学の学生がビルの屋上から飛び降り自殺をした。調べると体内から1D-LSDを服用したようだと書かれていた。また日本大学か?と言うことではなく、最高学府に行っていながらなぜ、そんなものを飲んでしまったのだろうか? 高等教育は彼にとって何だったのだろうか?その意味や意義をどうやって一人一人が己のものするのだろうか?
                              2024年4月29日
 

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